【文化部】「ボヘミアン・ラプソディ」は強烈に「自由」
一何はともあれ全員がリアルなメンバーに似すぎているというのにショックを受けました。スト2実写版と同じ感激というか。
「おわー!ザンギエフじゃん」(ありがたくない)
ブログをまともに書き始めて2日目にして仲間内で「1つの記事がいちいち長いんじゃないか?」という疑問がわいてきたため、短信も書いてみます。
❒タイトルの持つ意味❒
なんとなくヒット曲のタイトルを選んだようにも見えますが、そうではないかもしれません。
ボヘミアン
ちゃんとした意味や文化的な背景があります。
世間に縛られず自由に生きる人、放浪する人という意味ですー辞書的な解釈はさておき、自分の価値観や生き方を持っていて、世間体や伝統、慣習などにとらわれず楽しく生きるみたいな意味があると思います。
大学生のころ、アメリカに住んでいた私は教授に「君たちは新ボヘミアン世代だ」と言われました。いや、裸足でヒッピー生活していたアンタに言われる筋合いはないとか思いましたが、90年代は「BOBO=BOurgeois BOhemian(ブルジョア ボヘミアン)」という言葉が流行した時代でもありました。
ブルジョアは日本の感覚でいうとすごいお金持ちですが、英語の感覚的には金銭的な余裕があるみたいなニュアンスで使われていたように思います。
QUEENや教授の世代が、明日をも知れぬ中でリスクを請け負って自由気ままに、好きに生きるという「苦労型ボヘミアン」だったのに大して、我々は甘やかされた坊ちゃん嬢ちゃんの苦労を知らない「ワガママボヘミアン」的な意味でのボヘミアンだったような気がします。
そんな話はさておき。
ラプソディー
も、ちゃんと意味があります。
日本にいるとラプソディーってなんか漠然と「曲」みたいな印象を持つかもしれませんね。「君に送るラプソディ―」みたいな?私だけでしょうか。
でも、本来の意味はちょっと違うようです。
日本語訳すると狂詩曲(きょうしきょく)です。
って全く意味わからないと思うんですが、これもボヘミアンと同じで自由奔放で、いろんな曲をつなぎ合わせたりして自由に創作する曲のことを示すみたいです。
ボヘミアン・ラプソディ自体もピアノでママ~♪からオペラガリレオ―♪そしてラストはまたロックンロールと実は忠実にラプソディしているわけです。
そして曲の全編を通して何度か出てくるフレーズは
nothing really matters to me=僕は何も気にしない
そう考えるとボヘミアン・ラプソディはとことん自由をテーマにした映画なんじゃないかなと考えてしまいます。
主人公のフレディ・マーキュリーは自由に曲を書いて、仲間と自由に遊んで、そして自由に人を愛した。伝統的に厳しい家庭(特にお父さん)に生まれながら、それにとらわれることなく自由な人生を歩み、最後は家族全員が彼の自由を愛し、自由に生きることを認めました。
世間にとらわれることなく、自分の心に忠実で、何を歌いたいのか、何が大切か、誰を愛すべきかという自由を突き詰めたフレディ・マーキュリーの物語だったのかなと思いました。
この映画は宣伝にある通りラスト21分が素晴らしすぎて会場にいるオーディエンスのような気分で傍観してしまうのですが、実はフレディ・マーキュリーにステージの上からずっと
君は自由に生きているのか!
という問いかけを受けていることに気づきます。
いい映画でした。