【経済部】カルロス・ゴーン会長逮捕2 司法取引
- 初版刊行日2013/10/25
- ページ数256ページ
- 定価本体1400円(税別)
- ISBNコードISBN978-4-12-004550-9
今一度、マスコミこそ読むべき本。
❒逮捕劇の裏に日産幹部の司法取引❒
カルロス・ゴーン会長の逮捕に日産自動車幹部の司法取引があったのではないかという指摘がなされていますーって、ホームページ見たまんまの気がしますが。
特捜部の容疑にとどまらず、横領や背任(特別背任?)の容疑まで示唆していますが、こんなこと検察と調整しないで出さないだろうと思うので、検察の捜査に協力しているを通り越して、タッグを組んでいる宣言に見えます。それにしても無遠慮であからさまな。
全国で2例目の適用と「みられる」という表現になっているのは適用事例を警察や検察が公表していないからです。運用するうえで広報的にも実例を公表したほうが良いと思うのですが、それは協力者を守るためにできないようです。合理的なような不可解なような。
❒司法取引とは❒
わかりやすく書いてあるようでわかりにくいのでご説明させてください。
目的
これまでは警察や検察の捜査で自首や出頭、自供をしても「よく正直に話してくれたね。君は立派な人間だよ」と少しだけ求刑が減刑されるものの刑務所送りでした。これでは誰も話すわけはなくて、否認・黙秘事件は未解決で終わるケースが目立つようになりました。
こうした状況を打開しようと組織的な犯罪で比較的下位に存在する事件の関係者で「私を罰しないと約束してくれるなら何でも話す」という人物に「君は罰しないからすべて話してくれ」と仕向けて真実を解明しようとするものです。
適用される事件
一定の財政経済関係犯罪及び薬物銃器犯罪並びに公務の執行を妨害する罪
はい、よくわかりませんね。
要する組織性が強く、自白がないと捜査がとても困難な事件です。事件の解決に強く貢献する人物の罪を問わない代わりに、組織犯罪の全容解明、特に上部にいる人物の検挙や証拠の押収、犯罪を立証する法廷での証言を得ようとするものです。
勘違いをしがちなのですが、司法取引は単純な密告合戦ではありません。あくまで事件の解明に絶対に必要な時に利用される制度です。泥棒仲間で「俺はあいつにそそのかれました」「いいや、あいつがリーダーです」式の罪の擦り付け合いはそもそも泥棒の事実が捜査で明らかになっているので司法取引の対象になりません。
日本独特ともいえる部分もあります。
欧米では殺人事件や傷害事件でも適用が見られ、マフィアのヒットマンが司法取引で組織を売る代わりに免責を受けるようなケースがあります。
しかし、日本では人が殺害されたり傷つけられたりした事件の行為の実行犯が「組織のメンバーとしてボスの命令でやりました。全部話すから私は見逃してください」という免責は遺族感情、被害者感情や一般的な社会通念上受け入れがたいということで排除されています。
条件
警察や検察にそそのかされることがないよう、冷静な判断力を持った第三者の弁護士が容疑者の利益になると判断した場合に限り行われます。
また容疑者は同意をした以上、罪を問われることがないので黙秘する権利は放棄し、すべてを洗いざらい話さなければなりません。
❒証拠改ざん事件のもう一つの本質❒
2010年に大阪地検特捜部が手掛けた「障害者郵便制度悪用事件」は厚生労働省の村木厚子局長が逮捕されたものの、その後、特捜部長や捜査主任の幹部が証拠の改ざんをしていたとして最高検察庁に逮捕されるという急展開を見せて、戦後最大の冤罪事件として知られるようになりました。
特捜部は地に落ちた。
もう10年はでかい事件をやれない。
かつて私の知り合いの検事さんはそう言いました。これまで我が世の春を謳歌していたスーパーエリート集団の威光が失墜しました。
しかし、この冤罪事件の本質はもう一つありました。
実はこの事件そのものは冤罪事件だったわけではありません。
局長の関与に関しては冤罪だったものの、局長の部下は有罪判決を受けています。
この時「証拠改ざん」というウルトラCのデタラメ捜査の陰に隠されていた(隠されてないんですが、目立たなくなってしまった)もう一つの冤罪の誘因が有罪になった部下の局長の関与の自白の強要でした。
完全な単独犯で全く局長が関係ないにも関わらず検察官の執拗な取り調べに屈して部下は「局長の指示があった」と供述していたのです。局長も「毎日寝ずの取り調べの中で、自白を迫られた」と後に回想しています。
逮捕や処分を受けた検事たちは特捜部の自白・供述を取るエキスパート、「落とし屋」「(口の)割り屋」として知られ、これまでに何度も大型事件の被告を「落としてきた」人物でしたが、この事件を契機に自白に基づいた捜査、裁判が強く問題視され、取り調べの可視化と人の供述に頼らない客観的証拠の重要性が見直されるようになりました。
さらに付け加えるならばマスコミも特捜部の発表するままに局長を犯人報道して移送される車を追いかけたり、知人に犯人だという前提で取材をかけたりしました。にもかかわらず、冤罪となると特捜部を徹底的に糾弾しました。本当に立ち回りがよく、卑怯だったのはマスコミだったかもしれません。
❒司法取引は同じ轍を踏まないか❒
司法取引の協力を求められる容疑者は検察に自分を有罪にするか無罪にするかという生殺与奪権ともいうべきものを握られた状態で検察のから司法取引に協力を求められるようになります。
正直に話すことが求められているとはいえ、自分を免責してくれている検察が描いたストーリーに従うことが強く求められる、もしくは期待に応えようと忖度してしまう状況が生まれます。
そんな状況で「上司の指示があったんだろ?」とか「これはこういうことだよな?」という尋問を受けたら事実と違っていても検察の意図に沿った返答をしてしまう危険をはらんでいるわけです。
今回の事件は8年近くにわたって少しずつその権威を取り戻す努力を続けてきた特捜部にとってまさに起死回生 権利回復 汚名返上の花道であるはず。
しかし、その方法に司法取引を選んだというのは少し難しい気持ちになってしまいます。
証拠改ざん事件以降、検察、特捜部は冤罪事件の研究を重ね、二度と同じ轍を踏まないという決意はあるのでしょうが、潜在的な危険がある手法を選んでしまっている以上、とても慎重に捜査をしてほしいし、間違った捜査をさせないように監視する必要があると思います。
そんな検察や司法取引に応じた日産社員のギリギリの思いを理解しているかいないのか、またカルロス・ゴーン氏を何の疑いもなく特捜部のいう通りに糾弾してお祭り騒ぎをしているマスコミを誰も監視・制御できていないことが、冤罪事件と同じくらいこの社会にとって危険なことかもしれません。